戦いの歴史と王家の墓『浦添城・浦添ようどれ』(浦添市)

沖縄県

浦添市にある浦添城は、小高い丘陵地帯につくられたグスク。眺めも良く開放的な場所ですが、三山時代、沖縄戦といった様々な琉球の歴史に深く関わってきた重要な史跡でもあります。

訪問日:2022/3/24(木)

浦添城のヒストリー

浦添城は隆起珊瑚礁が長さ約400メートル続いている断崖の上に立ちます。12世紀ごろにつくられたとされていますが、正確な記録は残っていないそう。現在は、復元された石垣がびっしりと並んでおり壮観です。

城跡と周辺を含む一帯は浦添大公園となっており、なんとも穏やかな雰囲気。散歩しているおじさんが「ハブに気ぃつけなぁ」と声をかけてくれました。

ときは14世紀、沖縄は北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)と3つの王国に分かれていました。この三国時代は「三山時代(さんざんじだい)」と呼ばれており、尚氏によって琉球統一王朝が開かれるまで約100年ほど続きます。

そのうち中山王国の中心であったのが浦添。この浦添城も、中山王である英祖(えいそ)王統察度(さっと)王統が拠点としていたとされています。

1609年の薩摩軍の琉球侵攻で焼き討ちされますが、1620年に尚寧王(しょうねいおう)によって修築。その後の沖縄戦によって壊滅してしまいます。

現在は一部が復元され、その歴史を今に伝えています。

激戦地「ハクソー・リッジ」

この浦添城一帯の丘陵は「前田高地」と呼ばれており、沖縄戦において日本軍の陣地が敷かれました。

切り立つ崖がそびえる非常に堅牢な地であり、この地をめぐってアメリカ軍との激しい争奪戦が繰り広げられます。4月26日に始まったとされるこの前田高地の戦いは、5月6日にアメリカ軍に制圧されるまでの10日間、非常に凄惨な戦いが続きました。

米軍がこの崖につけた名称がハクソー・リッジ(Hacksaw=弓のこぎり・Ridge=尾根)。この戦いにおいて負傷米兵士を助けた衛生兵デズモンド・ドスのストーリーはメル・ギブソン監督によって映画化。その名も「ハクソー・リッジ」として、2016年に公開されました。アメリカ側からの視点ではありますが、戦争の凄惨さが非常にリアルに描かれているそうです。

王家の墓・浦添ようどれ

そんな浦添城にあるのが浦添ようどれ。不思議な響きの「ようどれ」は「夕凪」という意味があり、波風の無い静かな様子から転じてお墓を指したり、また極楽を意味するという考えもあるそうです。

案内板に従って浦添グスク跡の裏手へ。階段を降りていきます。

いずれも沖縄戦によって破壊されてしまいましたが、2005年に復元されたものとのこと。

積まれた石垣のアーチをくぐり抜けます。

こちらが浦添ようどれ。北側の崖下に設けられた掘込墓で、琉球王国時代の陵墓。右側の西室に英祖王、左側の東室に尚寧王とその一族が眠ります。

中山国王であった英祖王の陵墓があるのはわかりますが、その後の統一王朝である尚寧王の陵墓がそこに並ぶのは少し違和感があります。第2尚氏の陵墓は首里の玉陵(たまうどぅん)のはずでは・・・?

これは、尚寧王は自らの生まれた地である浦添に戻ったためといわれています。(俗説では島津藩の侵攻を受け入れてしまったことを恥じて、王家の陵墓に入らなかったという説もあるそうです)

浦添グスク・ようどれ館

浦添グスク・ようどれ館は、城跡の入口に建つ小さな資料館。

昔の写真や出土した遺物などを展示しています。散策マップなどももらえるので、最初に訪問するのがおすすめ。入館料は100円で、さらっと見学だけなら10分もかかりません。(※映像コンテンツをじっくり見ると、もっと長めの滞在時間が必要です)

メインの展示は英祖王陵である浦添ようどれ西室のお墓内部を再現した実物大模型。実際のようどれは外観しか見ることができませんが、内部はこんなに広い空間となっていたのですね。

薄暗い室内では、3基の石厨子が並んでおり、内部には遺骨まで再現されています。側面には仏像が刻まれておりますが、こちらは沖縄最古の仏像彫刻といわれています。

開館時間 9:00~17:00
休館日 月曜
料金 100円
公式サイト https://www.city.urasoe.lg.jp/article?articleId=609e78e23d59ae2434bfe4c6

※掲載の情報は2022年4月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

■琉球仏教のはじまり
英祖王の時代、小那覇港に禅鑑という僧が流れ着きます。英祖王は禅鑑を重んじ、浦添城の西に補陀落山極楽寺を建立。これが琉球仏教のはじまりといわれています。この禅鑑はいったいどこから来たのでしょうか?それはコチラの記事にて。
2度と帰ることのない航海『補陀洛山寺』(那智勝浦町)
わずかな食料と油だけを積んだ船で、お坊さんが大海原へと旅立つ「補陀洛渡海」で知られる寺院。海の彼方にあるという補陀洛浄土を目指し、出口を閉ざされた船は向かいます。この渡海には、遥か遠く琉球へも影響があったようです。

アクセスと駐車場情報

ゆいレールの浦添前田駅から徒歩15分。

車の場合、駐車場は浦添グスク・ようどれ館、もしくはそこから少し進んだ散策路入口スペースがおすすめ。いずれにしても、浦添グスク・ようどれ館を目的地に設定すると迷わずに進めます。

また、浦添城は見学自由ですが、ようどれへの道は9:00~18:00となっています。遅めの時間に訪問される際は時間配分にご注意を!

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