無数の古墳があったことがわかっている高倉古墳群。しかし、宅地開発が進みその多くは跡形も残っておりません。今回はかろうじて墳丘が残る4基の古墳をめぐってみました。
高倉古墳群
京王線と南武線が交わる分倍河原駅。その近くに広がる府中崖線の斜面上には高倉古墳群があります。確認されている古墳が27基ありますが、そのほとんどは地中にて発見されているため、墳丘は跡形も残っておりません。
今回は墳丘が残っている「①高倉20号墳」「②天王塚古墳」「③高倉塚古墳」「④首塚古墳」の4基をめぐってみました!
この4つは直径500mくらいの距離感であるため、徒歩でもめぐることができます。いずれもGoogle mapに掲載されていますので、分倍河原駅付近で「古墳」と検索すればヒットします。
ちなみに今回私はJR南武線の西府駅から歩いて「熊野神社古墳」を見学、その後は熊野神社古墳前にあるシェアサイクル「HELLO CYCLING」を利用してめぐりました。
①高倉20号墳
高倉20号墳は、住宅街の中、アパートの傍のゴミ捨て場の裏側。古墳の気配など全く感じないようなところにあります。
民家、アパート、日本通運の集積所に囲まれた土地。こんな中でちゃんと墳丘が残っているのが奇跡的。フェンスに囲まれているため墳丘上に上ることはできない、View Only古墳でもあります。
墳丘上には立ち枯れた竹のような植物の跡。独特の雰囲気を醸し出します。そびえ立つ石碑には「昭和13年」と刻まれていますが、他の文字は上手く読めず。
②天王塚古墳
お次は天王塚古墳へ。こちらは天王宮八雲神社の境内にある神社古墳。創建年代は不明ですが、鎌倉時代後期にはこの地に鎮座していたと考えられています。
本殿の裏側へまわると山と呼ぶには小ぶりな、ちょっとした盛り土のような墳丘の姿が見えてきます。ブロックや瓦、錆びついた一斗缶など様々なもの散らばっており、少々荒れているようにも見えます。ただし、草木はちゃんと刈られているようです。
墳丘の傍には石祠が置かれております。積まれた石は、古墳から出てきたものなのか、その後に補強のために置かれたのかはわかりません。2007年に行われた社殿の建て替えの際に古墳であることがわかり、2012年に調査が行われたそうです。ということは、おそらく古墳とは無関係でしょうね。
③高倉塚古墳
今回めぐった4基の中で最も保存状態が良いのが高倉塚古墳。高倉古墳群のほぼ中心に位置しています。
住宅街の中ですが、公園のようにスペースが開けています。訪問時は誰もいませんでしたが、もしかしたら子供の遊び場であったりするのかもしれません。
墳丘のてっぺんも登れるクライミング古墳でもあります。周囲は住宅に囲まれているため何が見えるというわけではありませんが、風が心地良い。通り過ぎる南武線の音も良い感じです。
④首塚古墳
最後となる首塚古墳も、やっぱり住宅街の中。こちらは赤い鳥居が建てられており、非常に見つけやすいです。とはいえ墳丘の姿はなく、エアー古墳と呼んでも良さそうなレベル。
さらに狐像と石祠まで。社名表記は見つかりませんが、稲荷神社として信仰されているようです。
現在はとても小さな敷地になっていますが、もともとの墳丘の規模はどれくらいだったのでしょうか。
古墳めぐりを終えて
写真を見ていただけたらわかる通り、いずれもイメージする古墳のかたちはほとんどなく、見応えはあまりない古墳でした。しっかりと復元されてガイダンス施設まで備えた「熊野神社古墳」に比べると、かなりマニアックな古墳めぐりです。
住宅街を進みながら「どれが古墳だろう?」と探す感覚、そして見つけた古墳に古墳らしさがほとんどないという現実、かつて狛江古墳群をめぐった記憶が蘇ります。
とはいえ、これだけ開発が進んだ地域で古墳が残っているのは奇跡的。わざわざ遠方から訪れるような古墳ではありませんが、お近くにお住いの方はちょっと散歩がてらめぐってみてはいかがでしょうか。
ちなみにオレンジ色で記載した○○古墳は私が勝手に使っているワードなので、スルーしてくださいね!!!
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