千葉県佐原市にある香取神宮。その歴史は古く、創建は神武天皇18年と2,000年の歴史を持っています。木々に包まれた神秘的な境内には、自衛艦の錨や大ナマズを抑える要石、剣聖が眠る墓碑などがあります。
本殿までの道のり
団子やソバ屋、各屋台が軒を連ねて賑わいを見せる参道商店会を抜けると、大きな朱色の鳥居が見えてきます。こちらは香取神宮第ニの鳥居。(ちなみに一の鳥居は少し離れた利根川にあります。)
続いて朱色の総門が構える。ここは広場のようになっているため、とても清々しい気持ちに。約30段程の石段も非常に幅が広く作られています。
元禄13年に造営された楼門。木々に包まれた重厚な出で立ちで、参拝者を出迎えます。このような朱色を「丹塗(にぬ)り」といいます。この色には魔除けの意味はもちろん、原料となる顔料には防食効果もあるそうです。
漆黒が美しい社殿
表参道を越えてたどり着いた拝殿は、黒塗りに金色の装飾が鮮やか。カラフルな彫刻も良いアクセントです。
この社殿は楼門と同じく元禄13年に徳川綱吉によって建立されたもので、重要文化財に指定されています。
御祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)。鹿島神宮の祭神である武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)とともに、天照大神の命を受けて国土開拓を行った神様です。武神としても崇拝されており、戦国大名などの武士からも信仰が篤かったといわれています。
大ナマズを抑える要石
かつてこの地には、地中に住み着き地震を発生させる大ナマズがおり、人々を苦しめていました。
経津主大神は、鹿島神宮の武甕槌大神とともに石棒を地面に刺してこれを封印。その石棒の先端がこちらの要石といわれています。
地表に出ている部分はとても小さく見えますが、地中部分は非常に深くまで続いているそう。かつて水戸黄門こと水戸光圀がこれを掘り起こそうとしたが、根元までたどり着くことができなかったといわれています。
境内散策で見つけたもの
巨大な杉が3本並ぶ三本杉。源頼義が祈願したところ、一株の杉が3つに別れたという伝説があります。真ん中の一本は枯れてしまい空洞になっていますが、その姿にも威厳を感じます。
御神木はこちらの巨大な杉。拝殿のすぐ目の前に立っており、推定樹齢は1,000年とされています。苔むした樹皮が荘厳な印象の立派な大木です。
境内に安置された大きな錨。こちらは、海上自衛隊練習艦「かとり」の錨です。昭和45年に建設され28年間に渡り活躍したかとりは、平成10年に除籍され役目を終えました。その記念として、名前の由来となった香取神宮に錨が奉献されました。
多くの摂末社
香取神宮の境内・境外にはたくさんの摂社、末社が建てられています。
こちらは匝瑳(そうさ)神社。磐筒男(イワツツノオ)神・磐筒女(イワツツノメ)神の2柱を祀っているのですが、こちらは香取神宮御祭神の親神にあたります。
境内には鹿島神宮も建てられています。香取神宮と鹿島神宮の関りは深く、平安時代に編纂された延喜式では、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮のみが「神宮」として記録されています。御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)で、香取神宮同様に戦いの神としても知られています。
旧参道を進んだ先にあるのが奥宮。経津主神の荒々しく勇猛な側面を司る「荒御魂(あらみたま)」を祀る神社です。高い木々に包まれた中に建てられており、にぎやかな本殿とは異なる神秘的な空気が流れています。
剣聖の眠る境内
香取神宮奥宮の近くには、剣聖と呼ばれた飯篠長威斉家直(いいざさ ちょういさい いえなお)の墓碑が建てられています。
室町時代の剣豪で「天真正伝香取神道流」を作り上げるのですが、彼がこの流派を開いたエピソードは香取神宮と深く関わっています。
あるとき、家直は香取神宮境内にある梅木山に籠もり厳しい修行に励んでいました。千日に渡る修行を終えると、香取神宮の祭神である経津主大神が姿を現します。その啓示を受けた彼は、香取の名を冠した天真正伝香取神道流を創始しました。
剣術だけに限らず、柔術や忍術も含めた総合的な流派で、現存する最古の武術流派といわれています。
アクセス情報
最寄り駅はJR香取駅ですが、徒歩だと30分ほどかかります。JR佐原駅からはバスが出ており10分ほどで向かうことができるため、そちらの方が一般的。
また、東京駅から直通バスも出ており、70分ほどでバス停《香取神宮前》までアクセスすることもできます。
車の場合は東関東自動車道の佐原香取ICから5分弱。参道入り口には無料の駐車場が広がっています。
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