笠岡住吉港から高島に渡り、古墳などを見学したのが前回までのおはなし。今回は、高島行宮遺跡や真名井のある神卜山(かみうらやま)を目指します!帰りには島の資料館である「おきよ館」にも立ち寄りました。
神武天皇祀る高島神社
港から神卜山(かみうらやま)へ向かう途中に鎮座するのが高島神社。ここは日本の初代天皇である神武天皇を祀る神社です。
そびえ立つのは神武天皇像。高さは5mほどあり、お社よりも遥かに大きいです。この像は島民によって手作りで仕上げられたもの。夢枕に天皇が現れ、建立を頼んだとのウワサも。
境内には船も置かれています。詳しい説明はありませんが、おそらく神武天皇がこの島に渡る際に乗った船を表しているのではないでしょうか。
なお、この神社の境内は王泊遺跡という古代住居跡でもあるそう。古墳時代の土師器や須恵器が出土しています。古代より人が暮らしていたのは間違いなさそうです。
神卜山の登山道
高島神社のすぐ先に神卜山へ続く登山道入口があります。雨の中の山道はキケンかと思いきや、道幅も広くきれいに整備されており、とっても歩きやすい。木々のお陰で風がないので、海辺の道よりも歩きやすいです。
上り始めてから3分ほどで真名井に到着。ここは神武天皇が天つ神にお供えをする水を汲んだ所と言い伝えられています。いまもキレイな水を湛えていました。
そびえ立つ石段が見えたらラストスパート!登り始めてからここまでわずか8分ほどです。
巨大な高島行宮遺阯碑
石段の先には石碑が建っています。人が写っていないためサイズ感が伝わりにくいと思いますが、これめっちゃでかいです!その高さは8m、重さは225トンにも及びます。
刻まれているのは「高島行宮遺跡」。行宮(あんぐう)というのは、仮の宮のこと。日本書紀によると、神武天皇が東征の際に、吉備国(岡山県)の高島に行宮を置いたという記録があります。
この石碑は大正8年に畑中平之丞という人物が建立したそう。何者かと思い調べてみたところ、明治時代に北木島の石材業発展に尽力した石材商とのこと。
ところで、どうやってここまで運んだのでしょうかね。ここまでの道中は細い山道でしたが、これくらいの運搬はわけなく行えてしまうのでしょうか。それとも、この地にあった巨石を活用したのでしょうか。
石碑からすぐ先には眺めの良い展望台があります。曇っていますが、それがまた幻想的に見えて悪くないです。
手前の大きな石は占石。神武天皇が吉凶を占った場所と伝えられています。この山の名前の神卜山(かみうらやま)も、ここから来ているようです。
この先は島内を一周する遊歩道が続いていますが、短い滞在時間なのでここで折り返し。石碑と展望台の往復時間は20分程度でした。
資料たっぷりなおきよ館
港方面へ歩いていると、一緒に船を降りたお姉さんとすれ違います。「おきよ館行きますか?私、予約して開けてもらってるので、今ならまだ見れますよ!」と教えてくれました!
「おきよ館」は、島内にある資料館。基本的にはクローズしているため、予約しないと見学することができないのです。今回直前でその情報を知ったので諦めていたところ、なんとも嬉しいお知らせ。帰りの船にはまだ少し時間があるので、立ち寄ってみることにしました。
館内では、古墳時代の須恵器、平安時代の須恵器や黒色土器、木彫りの工芸など様々な時代の歴史資料がたくさん。展示物は多く、なかなかのボリュームです。
展示されている短剣。傍には「3000年前のイラン製 青銅剣」と題された新聞記事が貼られています。ただし新聞記事の写真の剣とは形状が異なっているため、この剣がイラン製なのかどうかはわからずです。
7つの島めぐり終結
9:35、出港15分前に港に帰ってきました。しばらくすると、来るときと同じ「つむぎ」がやってきました。笠岡住吉港へと帰ります!
高島での滞在時間は1時間16分。さくさく歩いて「高須塚古墳」→「高島神社」→「高島行宮遺阯碑」→「おきよ館」とめぐってちょうど良いくらい。時間の都合で「窓石」と「子はらみ石」は断念しました。
これにて、長きに渡りお送りしてきた笠岡諸島もおしまい。7つの島をめぐり、ついつい16本も記事を書いてしまいました。ここまで見てくれた方、どうもありがとうございます!
どの島も個性的でとっても楽しい島めぐり。アクセスも良好な島なので、ぜひ気軽に散策に訪れてみてくださいね!
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