国際通りのすぐ近くにあるやちむん通りは、沖縄の伝統的な焼き物「壺屋焼」の生まれた場所。壺屋焼物博物館では、壺屋焼の歴史や技術をじっくりと知ることができます。様々な困難を乗り越えた壺屋焼は現代にもしっかりとその技術を受け継いでいます。
沖縄のやきもの壺屋焼
「やちむん」というのは「焼き物(やきもの)」、つまり陶磁器のことを指します。沖縄では日用食器や泡盛を飲むための器、瓦や骨壺まで様々な用途でやきものが利用されてきました。
尚貞王の時代に湧田窯、知花窯、宝口窯という沖縄に存在した3つの窯が、壺屋地区へと集められ、「壺屋焼」が誕生。壺屋地区はやきものの町として発展していきます。
そんな壺屋地区には、現在も工房や販売店が並びやきものストリートを作り上げています。やちむん通りと呼ばれており、国際通りすぐ近くの観光スポットとして知られています。
かつて使用されていた登り窯「東(あがり)ヌ窯」など、やきもの町ならではの見どころも多く、散策しているといろいろな発見に出会える場所です。
やちむんについて学べる博物館
やちむん通りの入口に建つのが、壺屋焼物博物館。壺屋焼をはじめとした沖縄における焼物の歴史や、その技術や製法などを学ぶことができるミュージアム。開館時間は10:00~18:00と比較的長く、入館料も350円。気軽に立ち寄りやすい博物館です。
館内では、解説パネルや壺屋焼の実物展示が並ぶ。シアタールームでは、壺屋の技法や歴史を紹介するムービー(約18分間)が毎時30分に上映されています。
壺屋焼の2つの種類
いくつか種類がある壺屋焼ですが、代表的なのは、荒焼(あらやち)と上焼(じょーやち)と呼ばれる2種類。
荒焼は釉薬をかけずに焼く陶器。ベトナムから伝わってきたといわれており、名前の通り荒っぽく表面がザラっとしているのが特徴です。水がめや味噌がめなどの貯蔵用の大型のものや、計量するための升瓶など、日常生活に使用する様々な器が作られています。
一方、上焼は釉薬をかけて高温で焼きます。釉薬が溶けてガラス質になるため、つるりとした姿。色も様々で華やかな装飾が可能となっています。朝鮮陶工によってもたらされたと言われており、お椀や急須、泡盛の器などが作られました。
赤土のシーサー
やちむんといえばシーサー。赤土で焼いたシーサーは、民家の屋根の上や道路の片隅など、いたるところで見ることができます。
鋭い牙と睨みつける眼が印象的な獣の姿で描かれていることが多く、そのルーツは狛犬やスフィンクスと同じくライオンと言われています。
魔除け、火除けなどの目的で置かれており、2体置く場合は口が開いているものと閉じているもので対になっているケースがほとんど。口が開いているのがオス、閉じているのがメスとされることが多いですが、実際のところ区別はないとのことです。
シーサー額をよく見ると、実は「王」の字が刻まれています。中国の文様で、虎の額の縞模様を漢字の「王」で表したものがあり、その文化の影響で描かれるようになったそうです。
なお、もともとシーサーは石でつくられており、実は壺屋にて焼き物シーサーが作られるようになったのは明治時代に入ってからだそう。家の屋根に置かれるようになったのも、一般庶民に瓦屋根が許されるようになった明治以降ということになります。
なんとなく古来より続く風習のようなイメージがありましたが、シーサーがこれほど普及したのは意外にも近代以降のことなのですね。
屋外にも続く展示
3階まで登ると、外の屋外展示へとつながります。建物の屋上にはニシヌメー(北の宮)という拝所が。もともとはニシヌ窯という登窯があったのですが、大正7年に崩し、代わりに焼き物の神様である土帝君(トーティークン)をまつるこの宮が置かれるようになったそう。
こちらは沖縄県庁庁舎建設工事の際に発掘された湧田の平窯。湧田といえば、壺屋地区に集められた窯元の一つ。この窯では、瓦を焼いていたと考えられていますが、天井部分などが現存していないため詳しいことはまだわかっていないそうです。
壺屋焼の危機
壺屋地区にて発展した壺屋焼ですが、明治時代に最大の危機を迎えます。
廃藩置県が行われ、沖縄が日本社会へと統合されていくと本土から安価で使いやすい陶磁器が大量に流入。特に安くて丈夫な磁器製品に、陶器である壺屋焼はその地位を奪われていきます。
そんな壺屋焼を救ったのが柳宗悦による民芸運動。それまで無名の職人たちによって造られてきた焼き物、漆器、竹細工などの日用品を美術工芸品として世に広めるという活動です。
この活動によって壺屋焼は東京や大阪など内地へと流通。独自の鮮やかな色彩が評価され、衰退の危機を脱しました。華やかに装飾された上焼の品々が、上流階級だけでなく一般庶民も使用していたという点は、民芸運動家にとって驚きであったそうです。
読谷村のやちむんの里
那覇より北にある読谷村(よみたんそん)にもやちむんの里があります。壺屋地区のやちむん通りとはいったいどのような関係なのでしょうか?
実はこの那覇の壺屋地区では、1970年代に入ると都市化が進むと煙を多く吐き出す窯の使用が制限されるようになっていきます。運営が困難となっていく中で、窯の移転が考えられるように。
新天地として選ばれたのが、読谷村。金城次郎をはじめ多くの陶工が窯を移転。現在では登り窯を中心に共同売店や多くの窯元が並び、新たなやきものの町ができあがっています。
アクセスと営業情報
壺屋焼物博物館&やちむん通りは、ゆいレールの牧志駅から徒歩10分ほど。
博物館の隣にコインパーキングがありますが、平日60分300円、12時間800円/土日祝30分300円・12時間1,200円。それほど安くはありませんので、少し離れたもう少し安いところに停めて歩いて行くのも良いかもしれません。
開館時間 | 10:00~18:00 |
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休館日 | 月曜 |
料金 | 350円 |
公式サイト | http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/index.html |
※掲載の情報は2022年4月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
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