北大東島 Part 5 見応え抜群な資料館『うふあがり人と自然のミュージアム』(大東諸島)

大東諸島

島の成り立ちや開拓の歴史、燐鉱山やサトウキビ農業など、島の様々なことを学べるミュージアム。読み物が中心ですが、どれもとってもわかりやすい!島巡りの最初におすすめとのことですが、ある程度めぐった後でも「謎が解決する」楽しさがあります。

念願の『北大東島・南大東島』へ!困難の事前計画編(大東諸島)
島好きならば一度は訪ねてみたい沖縄のはじっこの離島「大東諸島」。絶海の孤島であるため、そのアクセスはなかなかハード。今回の記事では、試行錯誤した計画や、宿や移動手段の予約など、事前準備をまとめています。「三角航路」が廃止となった今、2島をめぐるのはけっこうタイヘンな予感がします。
訪問日:2025/11/17(月) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

貴重な島のミュージアム

うふあがり人と自然のミュージアムは、島の北西部、ハマユウ荘や灯台の近くに立つ、島で唯一の資料館。

島のことをいろいろ学べるので、島に来たらぜひとも訪ねたいスポット。なのですが営業時間と開館日は要注意。

まず現地にて貼られていた営業時間は8:30〜11:00 / 14:00〜17:00と、お昼に3時間ほど休みがあります。あとあと知ったのですが、ここのスタッフさんは空港カフェと兼任。そのため、島に飛行機が到着・出発するお昼のタイミングは空港に出向いているためと推測されます。

そして土日祝がお休み!!といってもスタッフがいれば受付可能、さらに「北大東島観光ナビ」のサイトで予約すれば開けてもらえるそうです。

今回は月曜の朝10:00頃に訪問。ドアを開けると、静かなホールにピンポンが鳴り響いてスタッフのお姉さんが出てきてくれました。

受付で名前と都道府県を記入、入館料500円を支払い展示室へ。

重要すぎるポジション

まずは島の成り立ちからスタート!北大東島の形成されていく過程を学ぶことができます。

沖縄の島は琉球弧という南西諸島海溝に連なっていますが、北大東島と南大東島だけは大東海嶺という海底山脈の上にあります。北大東と南大東は8kmほどの距離ですが、その間の海底は1,500m以上の深い谷というから驚きです。そんな様子を表すジオラマも展示されていました。

その位置から、国境の島の一つにも数えられています。国際的に認められた海の範囲を「EEZ(排他的経済水域)」と呼びますが、その範囲は領土から200海里まで。北大東島と、無人島の沖大東島の存在が日本の排他的経済水域の範囲を広げています。

そんなわけで、北大東島の海岸線の地形が変わると、排他的経済水域が変わってしまいます。北部の真黒岬は、土砂を取ったり、施設をつくるのが禁止されているそうです。

荒波吹き上げるフォトスポットもあります。こういうのミュージアムっぽくて良いですね!

西へ動き続ける島

南大東島の「バリバリ岩」の記事でも書きましたが、大東島はもともとは太平洋のもっと西の方で誕生しました。プレート運動により少しづつ西へ進み、長い年月をかけて現在の位置に到達したのです。このプレート運動は今でも止まっておらず、毎年7cmほど移動しているそう。

ここで気になるのは、先ほどの「EEZ(排他的経済水域)」!島が移動しているということは、年々その範囲は小さくなってるってことなのでしょうか?実際のところ、島が動くたびに随時更新されることはないらしい。プレート運動は大東島以外でも世界中で起こっているため、それを反映させていたら大変なことになっちゃうそうです。

もう一つ気になるのが、いつか沖縄本島にぶつかっちゃうのではという心配。安心してください、プレートの沈み込みにより南西諸島海溝の中に入るためぶつかる心配はありません。

それって、いつか島が消滅してしまうってことですか!?

大丈夫、それは285万年後の出来事です。

ドロマイトってなに?

石の重さ体験コーナーもあります。海底火山の噴火により発生した「軽石」、サンゴや貝殻が堆積してできた「琉球石灰岩」、島の主要産業であった「燐鉱石」と並び、一番手前にある白い石がドロマイト

昨日、燐鉱山遺跡めぐりで名前を知ったドロマイトが出てきました!その正体は、石灰岩のカルシウムの一部が海水などの作用でマグネシウムに置き換わった岩石。持ち上げて見ると、めっちゃ重いです!

このドロマイトの産地は非常に少なく、国内では北大東島と栃木県佐野市くらいしかありません。さらに燐鉱石も国内では北大東島と沖大東島くらい。この島は鉱物資源に恵まれていることが実感できます。

開拓を後押ししたのはあの人物

江戸時代まで無人島であった大東島ですが、太平洋の航路上にあるため、その存在は良く知られていました。ロシアの軍人ボナフィデンは船の名にちなんで「ボロジノ諸島」、スペイン艦隊のデ・ラ・トーレは、「ロス・ドス・ヘルマナス(二人姉妹)」、オランダ人は「アムステルダム」と名付けていました。琉球の人は「うふあがり島」と呼んでおり、そこに漢字をあてた「大東」が今の島の名となっています。

明治時代に八丈島出身の玉置半右衛門らによって開拓されたという話は、これまでも散々書いてきましたが、その背景には明治政府の榎本武揚がいました。太平洋諸島への交易や移住を積極的に行い国を豊かにする「南進論」を提唱。南洋に向かおうとする企業家を支援しており、その一人が玉置半右衛門であったそう。榎本武揚が準備した政府の船舶による航海に参加、南洋についての知識や経験を深めていきます。

ちなみに、北大東島の最初の開拓団に玉置半右衛門は参加しておりません。団長を務めたのは依岡省三という、硫黄島やボルネオ島の開発に実績を残した冒険企業家です。

島の文化を感じる民具

読み物パネルが大半を占めていますが、いくつか民族史料も展示されています。

畑の土を耕す「磯野鋤」、穀類の脱穀などに使うカゴ「ミージョーキー」、運搬用の竹カゴ「バイスケ」など、島で暮らす人々が使用してきた民具がたくさん。

こちらは昭和40年代に製造された計算機、蓄音機とレコード盤、ブラウン管テレビなどなど。レトロな品々も多数展示されています。

神輿は島で2代目、昭和56年まで担がれていたもの。2代目と現在の3代目は浅草の宮本卯之助が製作、初代は昭和初期にまだ神輿がなかった南大東島に寄贈されました。

八丈島からの開拓者が伝えたという八丈太鼓も。戦前からお祭りなどの余興として親しまれてきましたが、戦後は継承者不足により途絶える危機に。1995年に北大東文化協会が設立、「大東太鼓」の呼称も生まれました。

そんなわけで読み物中心のミュージアム。ひとつひとつの項目が非常に面白く、気が付いた時には1時間以上が経過していました!!後半は集中力が切れてしまったので、写真に撮って後で読むという暴挙に出てしまいました。

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