北大東島 Part 2 燐鉱山の史跡めぐり① 〜発電所跡・倉庫跡〜(大東諸島)

大東諸島

北大東島の観光においてメインとなるのが、燐(りん)鉱山遺跡。かつて島の重要な産業であった燐鉱山に関連する史跡が、今も多数残されています。まずは倉庫跡や発電所跡などをめぐって当時の賑わいを感じていきますね!

念願の『北大東島・南大東島』へ!困難の事前計画編(大東諸島)
島好きならば一度は訪ねてみたい沖縄のはじっこの離島「大東諸島」。絶海の孤島であるため、そのアクセスはなかなかハード。今回の記事では、試行錯誤した計画や、宿や移動手段の予約など、事前準備をまとめています。「三角航路」が廃止となった今、2島をめぐるのはけっこうタイヘンな予感がします。
訪問日:2025/11/16(日) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

島の重要産業リン鉱山

1919年から1950年にかけて、燐鉱山が操業されていた北大東島。最盛期には1人1日平均2トンの採掘量を誇り人口も4,000人までに膨れ上がりました。

その歴史は、大分県中津市出身の実業家・恒藤規隆が沖大東島(※現在は無人島)にて燐鉱石を発見、北大東島の開発にも取り組んで行ったことに始まります。この恒藤氏は、宮崎県の日南市にて日本初の燐鉱石を発見した人物。以降、人生の大部分をリン資源探査に費やし、ライフワークとしていたのです。Wikipediaに詳しく書かれていますので、興味がある方はこちらを。ただし、めっちゃ長いのでご注意ください!

戦後も燐鉱山は続けられます。米軍により大型機械が導入されるも、手掘りと異なり石や土が混じってしまい、品質がダウン。昭和25年(1950年)に閉山となってしまいました。

リン鉱山の閉山後、採掘跡の多くは埋め立てられた後にサトウキビ畑等の農地に転用されましたが、現在も残っている遺構が多数。採掘から加工、運搬、貯蔵、積み出しに至る燐鉱山の国内に唯一残る遺構であり、「北大東島燐鉱山遺跡」として2017年に国の史跡にも指定されました。

■リンって何に使うの?
気になるのはリンの使用用途。調べたところ、肥料などの「農業」や火薬等の用途で「軍需利用」、そして一部は海外への「輸出品」とされていたようです。

多数残る燐鉱山関連史跡

島の西側、西港の近くには、そんなリン鉱山に関連する遺跡がたくさん残っています。ハマユウ荘でレンタルバイクを借りたので、何となく向かってみようと思ったのですが、観光マップには「燐鉱石貯蔵庫跡」しか掲載されておらず。Googleマップで見ると、各ポイントがしっかりと登録されているので、それを頼りにめぐってみることに。

かなり多数のポイントが登録されているので、ざっくり以下の区分に分けて紹介させていただきますね!

①りんこう交流館
②りんこう交流館の周辺
③第四倉庫跡とその周辺
④西港周辺
⑤燐鉱石貯蔵庫跡
⑥西港公園
⑦大衆浴場跡

ちなみに、各所にはこんなQRコードが設置されています!詳しい解説を読むことができるのかなと思いきや、アクセスできなくなっていました。

①りんこう交流館

まずはりんこう交流館へ。大正7年(1918年)年頃に建てられた燐鉱事業の拠点となった施設であり、今は整備されて交流施設となっています。といっても、人の気配は無く中に入ることはできませんでした。

りんこう交流館の手前には、廃墟のような佇まいの何かが建っています。なんの施設だったのかは不明ですが、冷蔵室・管理室・貯水室・計量室と書かれたパネルを見つけたので、食品加工施設だったのではないでしょうか。

階段は登ることができます。しっかりしているので、崩れることはなさそうです。

現在は施設の一部分が「トロっこ」という居酒屋となっています。さらに、お昼はおさかな市場でもあるようです。残念ながら日曜定休だったので、中は見れず。

②りんこう交流館周辺

りんこう交流館付近にも多数の史跡があるので、ここにバイクを停めて、徒歩で散策してみることにしました!

直ぐ側にある石とコンクリートの跡は、Googleマップによると庸員倶楽部跡であるそう。ここも詳しくはわからずです。

無線通信所跡もあります。1961年に琉球電信電話公社が島内電話を開通させるまで利用された施設。人の家の庭にあるため、あまりじっくりと見学できず…。

少し進んだところにあるのが所長住宅跡。石の門が残っておりますが、草が茂っているためこれ以上は進めず。

草むらの奥に見つけたのが社員風呂遺構。ここも石垣が残るのみです。さらに奥にあるコンクリートは、水タンク跡のようです。

黒ずんだ石垣の家屋は、旧魚市場社宅遺構。中には入れませんが、しっかりと保存されているように見えます。

スクレイパー通路跡・燐鉱石採掘場跡という場所にも行ってみたのですが、遺構らしきものは何も見つからず。

③第四倉庫跡とその周辺

再びバイクにまたがり西港に向けて進むと、すぐに見えてくるのが第四倉庫跡。かなり規模の大きい史跡です。

中は風も入らずとっても静かで妙に落ち着ける雰囲気です。この建築には「ドロマイト」という素材が利用されているそう。ドロマイトって何だろうと思っていたのですが、この謎は翌日に解けました!

倉庫のそばには史跡 北大東燐鉱山遺跡の標柱が。文部科学省と記載されており、令和三年に建てられたものであるそう。

近くにあるのが階段式倉庫跡。その名の通り斜面を利用して階段状に作られた倉庫。石をセメントで固めたような外壁のみが残っています。これもドロマイトなのでしょうか?

発電所跡もあります。天井は落ちてしまっていますが、外壁はしっかりと残っています。太平洋戦争時のアメリカ軍による弾痕があるらしいですが、どれかわからずです。

内部には錆びついた発電機もあります。これってもしかしてDBDごっこができるのでは・・・?どなたか一緒にハッチ開けませんか?

長くなってきたので、今回はこのあたりで!次回は西港周辺の鉱山遺跡をめぐります!

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