北大東島 Part 6 上陸公園と島の歴史を感じるスポットめぐり(大東諸島)

大東諸島

レンタルバイクでめぐる北大東島!まずは最初の開拓団が上陸した「上陸公園」、開拓主を讃える「玉置半右衛門君之碑」、戦時下に建立された「金刀比羅宮」、日本国土を示す「国標」をめぐっていきます!

念願の『北大東島・南大東島』へ!困難の事前計画編(大東諸島)
島好きならば一度は訪ねてみたい沖縄のはじっこの離島「大東諸島」。絶海の孤島であるため、そのアクセスはなかなかハード。今回の記事では、試行錯誤した計画や、宿や移動手段の予約など、事前準備をまとめています。「三角航路」が廃止となった今、2島をめぐるのはけっこうタイヘンな予感がします。
訪問日:2025/11/16(日)~17(月) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

上陸公園

島の西側には、開拓団がはじめて上陸した場所があります。開拓100周年記念で公園として整備され、上陸公園として観光スポットにもなっています。

北大東島開拓百周年記念碑が立てられています。正面のプレートは剥がれ落ちてしまっていますが、傍には「サトウキビ圧搾」と「燐鉱露天採掘」という島の2大産業をあらわしたレリーフが置かれていました。

しつこいですが、明治33年(1900年)に玉置半右衛門らが南大東島の開拓をスタート、その3年後に北大東島も開拓がはじまります。玉置商会は北大東島に社員・山田多恵吉を派遣、そのときの上陸地点がここなのです。

上陸当初はあくまで開拓の意思を示すためのサトウキビ8株を植えただけに留まり、本格的に開拓が始まったのは明治43年(1910年)以降。後に燐鉱採掘が主要産業として発展しますが、同時に製糖業も行われていました。燐鉱石は「西港」から、砂糖はここから島外へ運んでいたそう。かつては海岸までレールが敷設されており、現在も海までその跡が続いています。滑り止めに丸太状の埋め込みがあり、自由に降りることができます。

かつては砂糖樽をここで滑らせて、下のコンクリート製の箱で受け止めていたそう。そんな樽をイメージしたであろう椅子も設置されていました。

開拓主故玉置半右衛門君之碑

西港のそばには開拓主故玉置半右衛門君之碑があります。八丈島出身の実業家である玉置半右衛門は、明治33年(1900年)に南大東島の開拓をはじめた人物。南大東島の記事から、事あるごとにその名を出してきたので、もう皆さん覚えてくれてますかね?

通りからはこんな坂道を登っていきます。

上った先にコンクリートの展望台があり、そこに鎮座するのがその石碑。まわりに並べられた板は、何かを置いていたのでしょうかね?

ここは眺めが良く、集落や西港を見渡せてとっても気持ち良いです。先ほど訪ねた燐鉱山遺跡のひとつ、「りんこう交流館」もよく見えます。

灯台は内部を上らない限り展望が楽しめないため、ここは貴重な展望スポットなのです。

金刀比羅宮

西港の近くにある神社が金刀比羅宮。赤く少し横長の鳥居が境内の入り口です。

参道を進んだ先には2つの鳥居があります。左が金刀比羅宮で、右が恵比寿宮。戦時中に島に配置された守備隊の宮大工が中心となり、島民と協力して建立された神社であるそう。

毎年10月10日に開催される「金刀比羅宮例祭」では相撲が奉納されるため、土俵が設置されています。道着を着て行う「沖縄角力」であり、最初から組み合った状態ではじまり、相手の背中を土俵に付けると勝ちになるとのこと。

北大東島にある他の神社、「秋葉神社」や「大東宮」にも土俵がありますが、それはまた後程。

西港公園の国標

西港周辺に広がる燐鉱山遺跡を見渡せる、西港公園。園内には標柱が立てられています。こちらは国標。大東島が日本の領土であることを明確にするために建てられたものです。

明治18年(1885年)、内務省の命を受けて、沖縄県令の西村捨三は正式な調査団を大東島に派遣、同年8月31日に国標を設置します。当初は木製でしたが、昭和12年(1937年)にコンクリートにより再建。その後、西港公園を整備する際に、改めて木製にて設置されました。

標柱には「再々々健 平成二十八年三月三十一日」と彫られています。あれ、1回足りない!と思ったのですが、どうやら平成28年(2016年)に建てられたものであるそう。

南大東島でも見かけた国標。他の地域ではまず見かけない、「国境の離島」ならではのモニュメントですね。

次回は「北大東島灯台」や「大東ピラミッド」を紹介させていただきます!つづく。

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