広々とした草原の真ん中に鎮座する、大きな前方後円墳。巨大な石で造られた石室が公開されており、自由に見学可能。内部を覗くと、屋根のような蓋が載った「家形石棺」を見ることができます。
草原の前方後円墳
作山古墳、造山古墳、千足古墳と連日古墳記事が続いており、そろそろ飽きてしまった方もいらっしゃるかもしれませんがもう1基だけ紹介させてください!
吉備の古墳めぐりラストはこうもり塚古墳。古墳時代後期に築造された前方後円墳です。
「吉備路もてなしの館」「備中国分寺」「吉備路文化館」といった観光スポットのすぐ近く。原っぱの中を通る道、その先に木がそびえ立つ墳丘。このロケーションめっちゃ良くないですか?
墳丘長は100m、後円部の直径は55〜60m、前方部の長さは約60mという立派な古墳です。
巨石で造られた石室
墳丘に沿って歩いて行くと、石室の入り口が見えてきます。5月はツツジがあざやかに彩り華やかな雰囲気。
花崗岩の巨石を組み合わせた横穴式石室。この古墳の石室は公開されており、いつでも自由に見学することができます。ここもまたツツジがきれいですね。
通路にあたる「羨道」と、石棺が置かれる「玄室」を合わせた全長は19.4m 。箭田大塚古墳・牟佐大塚古墳と合わせて岡山県三大巨石墳と総称されているそう。今回は旅程の都合でここだけになってしまいましたが、いずれ制覇したいところです。
安置された家形石棺
石室の奥にはフェンスが設置されており、その先を覗くと石棺が置かれています。
この石棺、蓋がまるで屋根のような形をしています。これは「家形石棺(いえがたせっかん)」と呼ばれるタイプ。長さ2.38m・幅1.4m・高さ1.31mというサイズで、岡山県井原市産出の貝殻石灰岩「浪形石」をくり抜いて造られたものであるそう。
そういえば静岡で見た賤機山古墳も家形石棺でしたね!他にも例があるのかなと調べてみたところ、さらっとWikipediaを見ただけでも40基ほど例が載せられていました。それなりにポピュラーなスタイルだったのかもしれません。
被葬者は黒媛?
この古墳、かつては黒媛(くろひめ)の墓とされ、「くろひめ塚古墳」とも呼ばれていました。
この黒媛という人物は、古事記や日本書紀にも登場する古墳時代の女性。国内3番目の大型古墳「上石津ミサンザイ古墳」に眠る履中天皇の皇后となった人物です。
しかし、こうもり塚古墳の築造年は6世紀後半ということがわかり、黒媛の記録が残る時代とは100年以上も隔たりがあることが発覚。被葬者は別の人物と考えられるようになります。奈良県橿原市の「見瀬丸山古墳」と共通点が多いことから、こちらの被葬者である欽明天皇と密接な関係があったのではという説もあるそう。
発掘調査の結果、須恵器・馬具・刀剣・金銅装単鳳環頭太刀の柄頭などの副葬品とともに陶棺の一部が見つかり、さらに鉄釘が出土したことから木棺も埋葬されていたと推測されています。家形石棺に眠る人物以外にも、複数の人物が埋葬されていた可能性があるようです。
本当に余談なのですが、石室の通路部分「羨道」って「えんどう」と読むそうです。私はずっと疑うことなく「せんどう」だと思ってましたが、みなさん知ってました?昨日の記事で「陪塚」以外にも知らずに誤読している古墳用語がありそうと書いていましたが、速攻で伏線回収してしまいました。
アクセスと駐車場情報
専用の駐車場はないので、「吉備路風土記の丘 県営北駐車場」「吉備路もてなしの館」「総社吉備路文化館」のいずれかに停めて歩いていくのがおすすめです。
コメント