名将たちの歴史が詰まった城跡『米沢城址・上杉神社』(米沢市)

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伊達政宗、上杉景勝、直江兼続といった名だたる武将にゆかりのある米沢城。本丸は、現在は上杉神社の境内となっています。水堀に囲まれた縄張には、多数の銅像が設置されていました。

訪問日:2024/5/1(水) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

米沢城のヒストリー

山形県を代表するお城である米沢城。米沢を代表する観光スポットであり、著名な武将にもゆかりのあるお城です。ということで、まずは恒例の歴史を簡単にまとめてみました!

米沢城の築城主は長井時広。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男であり、出羽国置賜郡長井郷の地頭として訪れた際に築城したと伝えられています。

長井氏による支配が150年ほど続いていましたが、室町時代に伊達政宗の父である伊達宗遠によって侵略され、以後は伊達氏の支配・・・と言いたいところですが、豊臣秀吉の命で伊達氏は岩出山城へ移封となり、その後は蒲生氏郷の重臣・蒲生郷安の支配に。

上杉景勝が越後から会津へ移封となると、その重臣の直江兼続が入城。会津討伐から関ヶ原の戦いを経て、上杉景勝が米沢に減封となると、以後明治時代まで上杉氏の居城となります。

明治時代には建築は全て破却。その後、二の丸は市役所となり、城跡は松が岬公園として整備されました。

本丸までの道のり

今回は車での訪問なので、松が岬おまつり広場 駐車場からスタート。駐車場には特産品販売店や米沢牛レストラン、米沢牛コロッケ、玉こんにゃくなどの軽食販売もあってにぎやかな雰囲気ですが、まだ朝早いため人は少な目。

少し歩くと、正座した人物の銅像が見えてきます。こちらは米沢藩9代藩主・上杉鷹山像。崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代屈指の名君として知られる人物です。城内にあるミュージアム「伝国の杜(米沢市上杉博物館)」では、そんな鷹山の功績を映像で見ることできます。

上杉鷹山像の側に鎮座するのは松岬(まつがさき)神社。上杉神社から上杉鷹山公を分祀した神社であり、1912年に建立されました。その後、上杉景勝、直江兼続も合祀されています。

銅像が並ぶ参道

舞鶴橋から水堀を渡って城内へ。お祭りの開催日であったため、多数の屋台が準備をはじめていました。

堂々と構えるのは上杉謙信公之像。あれ、上杉謙信は米沢城と関係ないのでは・・・?

天地人 上杉景勝公と直江兼続公主従像は、米沢のまちを作り上げていく上杉景勝と直江兼続の姿。心なしか笑っているような表情に見える2人の姿を見ていると、胸がアツくなってきます。

またまた登場するのは上杉鷹山像。右手には扇子、左手には書物を持っており、実務にあたっているような姿で描かれています。

鎮座する上杉神社

本丸跡に鎮座するのが上杉神社。鳥居と白い幟がシックで高貴な印象を感じさせます。

御祭神は、その名の通り「上杉謙信」。上杉景勝が米沢へ移封された際に、合わせて遷座されました。さきほど米沢城に無関係な上杉謙信の像がありましたが、この神社の御祭神ということを考えると何も変なことはありませんでしたね。

宝物殿である稽照殿は、武具、刀剣、美術品を収蔵・展示する資料館。あの直江兼続の「愛」の前立の甲冑もあるそうです。早朝であったため、まだオープン前でした。

真っ赤な社殿が美しい福徳稲荷神社。6代藩主・上杉宗憲が勧請した稲荷神社に、上杉鷹山の信仰していたという稲荷祠を合祀しています。

木々に包まれた春日神社。上杉家が代々信仰する神社であり、上杉家の移封とともに遷座されました。

さて、そんな感じで城内を散策していると「伝国の杜(米沢市上杉博物館)」のオープン時間に。さきほど銅像で見かけた上杉鷹山について学びにいきたいと思います!

つづく。

アクセスと営業情報

米沢駅からは2kmほど離れているため、徒歩だと30分ほどかかります。

車の場合は東北中央自動車道 米沢北ICより15分ほど。駐車場は前述の通り「松が岬おまつり広場 駐車場」がおすすめです。

開門時間 6:00~17:00 ※11~3月は7:00~17:00
料金 無料
公式サイト https://www.uesugi-jinja.or.jp/

※掲載の情報は2024年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。

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