高畠石で作り上げられたレトロ駅舎『旧高畠駅』(高畠町)

山形県

かつて運行していた髙畠線の中心であった旧高畠駅。現在は公園として整備され、人々の憩いの場となっています。地元特産の「高畠石」でつくられた駅舎をはじめ、多数の石造り建造物は見ごたえありです。

訪問日:2024/5/1(水) ※掲載の写真・情報は訪問時のものです

民営の鉄道・髙畠線

高畠線は大正11年(1922年)に「糠ノ目駅」~「高畠駅」間にて開通した民営の鉄道。米や果物などの農産物、木材・木炭、そして名産の髙畠石などの輸送を目的に、さらに旅客や通学などでも利用されます。沿線には大規模な生糸工場もあり、そこで働く人びとの輸送や生活物資の運搬なども行っていきます。

高畠線が最盛期を迎えるのは戦後。復興のため物資運搬にはじまり、ベビーブームで誕生した 団塊の世代の通勤通学でにぎわいを見せるも、モータリゼーションの発達により昭和49年(1974年)に廃止となってしまいます。

そんな髙畠線の旧高畠駅の駅舎は保存されており、現在もその姿を見ることができます。

■「高畠駅」と「旧高畠駅」
かつて髙畠線の起点でもあった「糠ノ目駅」は、現在「高畠駅」という名称になっております。髙畠線廃止後もJR東日本の駅として現役です。

髙畠石でつくられた駅舎

重厚な姿の旧高畠駅。開業時は木造駅舎でしたが、それに替わって昭和9年(1934年)に建設されたものです。石造りかつデザイン性の高い駅舎は、レトロな魅力が詰まっています。

外壁には、高畠町の名産である「髙畠石」使用されています。温かみのある色合いと、ざらっとした質感が特徴的。

駅舎の側にはレールが一部残っており、貨車客車も展示されています。中に入ることはできないようですが、当時の面影を感じることができます。

その傍には真っ黒な軌道車。

何故か頭の中に「ラスト・クリスマス」が流れてきました・・・!

乗合自動車の修繕庫

駅舎の向かいに建つガレージ風の建物。こちらは昭和14年(1939年)に建設された自動車修繕庫。長辺約17m、短辺約8mの規模で、自動車を3台収納することができました。

なぜ駅前に自動車の修繕庫があるのでしょうか?

実は高畠鐡道は早い時期から「乗合自動車」の運行を始めており、ここは その車両のための車庫・整備庫だったのです。

乗合自動車というのは複数人を載せて運行する大型車両・・・すなわち今でいう路線バスのこと。ここから鉄道路線の通っていない南北方向を中心に運行されていたそうです。

なお、正面上方のくぼみをよく見ると、「高畠鐡道」の 文字の跡がうっすらと残っています。

最も古い変電所

広場には変電所が残っています。髙畠鉄道は、県内でもいち早く電化に成功。株主である高畠町の人々が、数年分の株主配当を返上して成し遂げます。

駅周辺の建物では最も古く、昭和4年(1929年)に建設されました。植物が生い茂る石造りの建造物、ちょっとだけ古代遺跡のようにも見えますね。

新たな役割を持った倉庫

駅舎の側に建つのは、昭和13年(1938年)に建設された髙畠駅倉庫。一辺約5mのほぼ正方形の建物です。

駅では少量の火薬や油類の保管が必要であるため、こうした頑丈な倉庫が造られました。かつて山形県内の奥羽本線の駅には多くの石造倉庫が建てられていましたが、現存しているものはわずかであるそう。

この旧高畠駅の公園化に伴い、新たな役割が与えられます。

それはなんと公衆トイレ!!!

取り扱い注意なものを保管していた倉庫が、一転して誰でも利用できる施設に。きっと倉庫時代よりも、多くの人に利用されているのではないでしょうか。

 

「髙畠石」については、こちらの記事もご覧ください。

天高くそびえ立つ石壁のホール『瓜割石庭公園』(高畠町)
高畠石と呼ばれる凝灰岩の産地として知られる高畠町。町内には採石場の跡が残っており、大迫力の石の壁を拝むことができます。周囲を石に囲まれた空間は、音が響き渡るホールになっていました。

コメント

  1. 匿名 より:

    以前、高畠町にある自動車学校で合宿免許に行った時2週間くらいこの辺に滞在してたんですが、この旧高畠駅は完全に見落としてました… (゚Д゚;)
    こういった廃線、廃駅は好きなので今度また拾いに行きます。
    ナイス情報ありがとうございました!

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