かつて吉備国という日本を代表する大きな地方国家があった岡山県。今も残る巨大な古墳の中でも代表的なものがこの作山古墳。墳丘の上を歩いて、古代ロマンをたっぷりと感じてきました。
古代国家・吉備国
「吉備国(きびのくに)」をご存じでしょうか。古代日本における地方国家のひとつであり、現在の岡山県を中心に広島県や兵庫県の一部にも広がる広大な範囲を持っていました。
瀬戸内海を活かした交易や交通の要所として発展し、「大和」「出雲」「筑紫」と並ぶ勢力を持っていたとされています。これらの国と合わせて四大王国とも呼ばれるほど、当時の日本において重要な国のひとつだったのです。
日本書記によると、吉備国はヤマト王権に対して反乱を企てますが失敗に終わり、勢力を失っていったとされています。
岡山市や総社市には、そんな吉備国に関連する遺跡が多数残されています。今回紹介する作山古墳(つくりやまこふん)も、そんな古代遺跡のひとつ。ということで、かつて強大な国家があったという古代ロマンを胸に読み進めていただければと思います!
巨大な前方後円墳
そんなわけで、作山古墳に到着しました!こちらは古墳時代中期に築造された前方後円墳。
大きすぎて、小山にしか見えません。
墳丘長は282m、後円部の高さは24mという巨大な墳丘。北海道と本州を往復する「フェリーさんふらわあ しれとこ(190m)」よりも大きいです!!
気になる大きさランクは、岡山県では第2位、全国では第10位という大規模な古墳。 これだけの規模の古墳が築造されたという事実が、かつての吉備国の繁栄を物語ります。
なお、「作山古墳」という名の古墳は他の地域にも多数あります。そして、岡山県内にもすぐ近くに「造山古墳」という古墳があり、どちらも読み方は同じ「つくりやまこふん」。めっちゃややこしいです!!Wikipediaによると作山は「さくざん」、造山は「ぞうざん」と呼び分けるそう。本当でしょうかね。
墳丘を歩いて縦断
この古墳は、墳丘に自由に上ることができるクライミング古墳(※造語)。道が整備されており、外れない限りは普段着でもぜんぜん大丈夫。
規模が大きいので、けっこう上ります。おそらくここは前方部の最上部。木々の隙間からは、通勤に向かう多数の車が見えます。
このまま後円部へと進むと、木々は開けて尾根のような道になります。
後円部の最上部に到着。ここには案内板が置かれており、古墳の情報を得ることができます。
墳丘のイメージ
というわけで、大きすぎて全然イメージがわきません。後円部の案内板に、北東からの空撮写真が掲載されていました。
墳丘はゼロから築造したものではなく、丘陵を削り出して造ったとのこと。現在は草木に覆われていますが、かつては斜面に葺石が敷き詰められており、5,000本以上もの埴輪が並べられていたそうです。
畿内の大型古墳に比べると、形は少々いびつ。後円部は楕円形であり、前方部の辺も一直線ではなかったりします。これは、墳丘をより大きく見せるために、自然の地形をそのままにしていたのではないかと考えられています。
現在進行形な調査研究
被葬者について正確なことはわかっていませんが、このサイズ感から吉備国の首長であったと考えられています。盗掘された穴は見つかっていないことから、被葬者は今も地下深くに眠っている可能性が高いそう。
墳丘を散策していると、謎の白い箱をみつけました。そばには「古墳観測中」の文字。これはなぁに?
掲載されていたQRコードに飛んでみると、物質を透過する素粒子ミューオンを用いて内部を観測する装置であるそう。
ぜんぜんわかりません!!
どうやら、発掘調査以外の方法で調査研究が行われているそうです。大型古墳の多くは天皇陵であったり、国の史跡となっているため発掘調査が行えないものが多いときいたことがあります。この装置を使えば、これまで発掘調査が行われていない古墳について、新たな発見がなされるかもしれません。
もしかして、畿内のあの古墳やあの古墳も調査できるのでしょうか。歴史が変わる発見があるかもしれませんね!!
アクセスと駐車場情報
トイレ付き駐車場が墳丘の西側にありますが、そこまでの道がびっくりするほど狭いです!それなりに車も行き交うので、ときにはバックして譲り合う可能性も。
さらに駐車場の入り口も要注意!南から向かうと、こんな感じでY字路の中州が駐車場となっています(建物が駐車場のトイレ)。左右どちらへ進んでも駐車場に入ることはできますが、左から入るのは軽自動車でないとなかなかハード。大きい車の方は、向かって右側へ進むのがおすすめです。
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