日本のアンデルセンと称された浜田広介(はまだ ひろすけ)の故郷である高畠町。記念館では、「泣いた赤鬼」をはじめ、彼の生み出した童話作品の世界にたっぷりと浸ることができます。ところで、赤鬼はなんで泣いたんでしたっけ?
童話の世界に浸れる記念館
童話作家として知られる浜田広介。その生まれ故郷である山形県の高畑町には、浜田広介記念館が建てられています。
入口にはカタカナの立て札が立てられています。入館前は意味がわからないのですが、館内のシアターを見たあとだと、少し見え方が変わります・・・!詳しくは後ほど。
浜田広介の年譜や生家の再現模型、様々なバージョンの「ないたあかおに」の絵本などが展示されています。(※展示室は撮影禁止だったので、エントランス部分の写真です)
「こがねのいなたば」「むじなのあかり」「山のこぞう」「むくどりのゆめ」「ある島のきつね」など、浜田広介のつくった童話の世界が体験できるコンテンツも。ヘッドホンで聴く朗読や、アニメ映像、紙芝居風など、様々なタイプの体験が集まります。なお、短いもので3分、長いもので11分あるので、全部見るにはそれなりの時間が必要です。
2つの童話が流れるシアター
館内のシアターでは、毎時00分に「泣いた赤おに」、毎時30分に「りゅうの目のなみだ」と2種類の映像コンテンツを見ることができます。上映中の出入りも自由です。
今回見た「泣いた赤おに」は、クレイアニメの作品。人間の仲間に入りたい赤鬼のおはなしです。
赤鬼は、自宅で人間をもてなす用意をして人間を招き入れる立て札を用意しました。しかし、人々は気味悪がって誰も入ってきてくれません。
赤鬼はなぜ泣いたのか
ところで、赤鬼はなぜ泣いてしまったのでしょうか?「泣いた赤おに」というタイトルは覚えていたのですが、ストーリーの詳細を思い出せません。
ここで、先ほどの続きを。誰も来てくれないため、赤鬼はついに立て札を壊してしまいます。
しばらくすると、友達の青鬼がやってきました。赤鬼はこのことを相談すると、青鬼は「ぼくが人間の村で暴れるから、君がぼくをなぐってとめればよい」と提案。実際にやってみると、みごと村人の心をつかむことに成功。人々は赤鬼の家に訪れ、赤鬼はお菓子とお茶でもてなしました。
人間と仲良くなれて満足した赤鬼ですが、気がかりなのは青鬼。それ以降、赤鬼のもとに訪れてくることがなくなってしまったのです。不安に思った赤鬼は、山をいくつも越えて青鬼のもとへ。
青鬼の家の前には、立て札が立てられていました。
「このまま赤鬼と付き合い続けると、人間が君を疑うかもしれません。だから僕は旅に出ることにしました。けれども僕は君をいつまでも忘れません。」
赤鬼は黙ってそれを読みます。何度も何度も読みあえします。そして、しくしくと涙を流しました。
友達想いの良い話過ぎます!!
物語のポイントとして気になるのは、赤鬼がどういった気持ちで泣いたのかが描かれていないこと。友達との別れがツラくて泣いたのか、自分の行いを反省して泣いたのか、それとも別の理由なのか。また、赤鬼はどうすれば泣かないで済んだのか・・・。人それぞれ感想が異なるかもしれませんね。
カタカナ立て札
記念館の屋外は、ひろすけ庭園となっており、彼の物語をモチーフにした石像などが多数設置されています。展示で物語に浸った後だと、いろいろと楽しめる仕掛けが。
赤鬼が人間たちをもてなそうとして立てた、立て札もあります。「ココロノヤサシイオニデス ドナタデモオアガリクダサイ オイシイオカシガゴザイマス オチャモワカシテゴザイマス」。全部カタカナで書かれているのが特徴です。
あ!冒頭で写真を載せた記念館の入口にあった立て札は、赤鬼のオマージュだったのですね。
屋外には浜田広介の生家も。木造平屋建ての農家造りの建築で、内部も覗くことができます。
そこに掛けられていたのはこちら。「ヒロスケサンノ ウマレタイエデス」と、ここでもカタカナで記されています。
さらに記念館御入口にはこんな立て札も。
「ココロノ ヤサシイ タカハタマチデス」。赤鬼スタイルで記された高畠町のPR。汎用性の高さに驚くとともに、私もどこかで使ってみたくなりました。「ココロノヤサシイ サイトデス ドナタデモ オイデクダサイ」と書いてみようかな?気味悪がって近づかなくなってしまうでしょうか・・・。
アクセスと営業情報
JR高畠駅より徒歩で25分ほど。
開館時間 | 9:00~17:00 |
---|---|
休館日 | 月曜、翌祝、年末年始 |
料金 | 500円 |
公式サイト | https://hirosuke-kinenkan.jp/ |
※掲載の情報は2024年5月時点のものです。最新情報は公式HPにてご確認ください。
コメント