ビジターセンターから西門までたどり着いたのが前回までのお話。今回はその先に続く南門・東門・北門とめぐり、城跡を一周することに。歩きやすく見晴らし抜群なトレッキングのはじまりです!
南門〜水門跡
13:35
西門からさらに進むこと15分弱、南門に到着しました。一辺55cmの大きな12本の角柱の跡が並んでおり、その幅は12.3m・奥行きは8.2m。規模的には先ほどの西門と同規模であり、どちらかが正門であったと考えられています。
南門の先の巨石を見ると、千手観音らしき石仏が彫られています。鬼ノ城が廃城となった後、飛鳥時代〜平安時代にかけて山岳寺院が開かれていた歴史もあるそう。
下り道の先には第4水門跡が。城内には6ヶ所の水門が確認されており、ここはそのひとつ。山城というのは守りに強いですが、いざ籠城するとなるといくつも問題があり、「水の手」もその課題の一つ。今も静かに水が流れており、当時もきっとある程度の水は確保できていたのでしょう。
東門〜高石垣
13:45
東門に到着しました。幅3.3m・奥行き5.6mと、西門や南門に比べると小さめ。4つの門のうち、ここだけ丸柱が採用されていたそうです。門の直ぐ側には床板のような巨岩があり、当時も木々が開けたポイントだったのでは。
13:50
何も見えませんが、ここは鍛冶工房跡。城を築くための鉄の道具を製作修理した場所です。9基の鍛冶炉とともに、鉄を鍛えるときに飛び散る破片などが発見されています。
13:55
屏風折れ(高石垣)に到着しました。これまでの道のりは基本的にずっと眺めが良いのですが、ここは広場になっているため開放感抜群。ひと休みするならここが良さそうです。
ここから先は木々の中の道に。未舗装ですが、ほぼ平坦であり、草木もしっかり刈られているためやっぱり歩きやすい。
温羅の伝説
14:03
石碑を発見しました!そこに刻まれているのは「温羅◯跡」。◯の部分は伏せ字ではなく、まったく見たことのない漢字で、検索しようにも部首もよくわからかいので◯を置いております。
温羅は「うら」と読みます。ウ~ラ~?ヤハヤハ!
この温羅、吉備の遺跡めぐりにおいて超重要ワード!古代吉備地方を治めていたとされる人物であり、大和政権には従わず、派遣された吉備津彦命によって討伐されてしまいました。これが今日にも語り継がれる「桃太郎」ストーリーの原型であるとも言われています。
この鬼ノ城はそんな温羅の本拠地であったとも考えられています。歴史書に記録が残っていない、というのが朝廷に対する反抗勢力であった可能性が考えられるため、この説はなかなか信憑性が高そうな予感。
この温羅伝説に関連するスポットは鬼ノ城以外にもたくさん!吉備津彦命が石楯を築き防戦準備をしたという「楯築遺跡」、温羅が投げた石が吉備津彦命の放った矢に当たって落ちた場所という「矢喰宮」、鯉に化けて逃げる温羅を吉備津彦命が鵜に化けて捕まえたという「鯉喰神社」などなど、様々なエピソードが残るスポットがあります。
そんな温羅の正体は渡来人であったという説もあるそう。かつて朝鮮半島に存在した国家「百済(くだら)」の王子であったとも言われています。もし本当なら、異国の地で一大勢力を築き上げるその手腕はかなりのもの。怪力で粗暴な印象の記載が多いですが、民衆の心を掴む人物であったのではないでしょうか。
北門〜角楼
14:10
温羅伝説で話が逸れそうになりましたが、北門に到着しました!背面側の唯一の門であり、東門と同様に小型の門です。
北門の先は登山道が続いており、この先を降りると下山することもできます。
14:20
広々とした展望台につきました。屋根付きの東屋があるので、休憩にぴったり!と言いたいところですが、ゴールはもう間近。
14:25
最後に見えるのは広々としたウッドデッキ。ここは角楼という、城壁の死角を補い防御力を高めるための施設の跡。
すぐ目の前には、最初に見た西門が。この位置関係ということは、西門に攻め入る敵を攻撃する防御施設としての役割も果たしていたはず。
所要時間と感想
14:30
ビジターセンターに到着。13:10に出発したので、一周の所要時間は1時間20分でした。休憩なしで、各所では少し止まって解説を読んだりしてこのタイム。ただ通り抜けるだけなら、もう少し短い時間でも行けそうです。
未舗装とはいえ、ほぼ平坦な道で非常に歩きやすく、また半分以上が眺めの良いルート。さらに、木陰も多いという至れり尽くせり。途中にトイレや自販機こそないものの、疲れることなく快適な山歩きが楽しめました。以前訪れた際は夕暮れどきだったので西門までにとどめましたが、今回は日中だったので、フルコースで堪能できて大満足です!
実はこの鬼ノ城、今回の一周コース以外にも、多数の登山道と連結しています。もし近くに住んでいたら、麓から登ってみたいところです。
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