三宅島 Part 2 噴火の跡が今なお残る『火山体験遊歩道』と島の歴史を学ぶ『郷土資料館』

三宅島

約20年周期という短いスパンで噴火を続ける三宅島。島内にある火山体験遊歩道には、溶岩に飲まれた学校や住居がそのままの状態で残されています。郷土資料館では、流刑地としての歴史も学ぶことができます。

2016/09/22(木)

噴火の跡を歩く

三宅島は何度も噴火しているアクティブな火山の島で、噴火の記録が多く残されています。特に1940年以降は約20年に一度という周期で噴火しております。

噴火の際に流れ出た溶岩が生々しく残っているのが火山体験遊歩道

錆ヶ浜近辺にある民宿さつきのおばあちゃんにここまで乗せてきてもらいました。この方は噴火を何度も体験しており、向かう途中に当時の様子を色々と話してくれました。

遊歩道のコースは「20分ルート」「30分ルート」の2つあります。どちらも周回ではなく通り抜けなので、車で駐車場利用の場合は往復することになります。往路と復路で変えれば両ルート行けます。

ボコボコと固まった溶岩の中を木道がはしる。ウッドデッキの道は、湿原の散策路のようです。

こちらの溶岩は、1983年の噴火の際に流れ出したもの。
10月3日15:15頃にはじまった噴火により、340棟が溶岩に飲み込まれてしまったそう。この溶岩歩道の下には、民家が眠っているらしいです。

そんな激しい噴火でしたが、なんと死者はゼロ人!!

その理由は、噴火が昼間であったこと、そして住民の冷静さと防災訓練の成果だそうです。
1983年の前の噴火は1963年。島民の多くの方は噴火経験者だったのでしょう。防災意識がとんでもなく高いのだと思います。ちなみに、日本で初めて海水による冷却で食い止めたそうです。

溶岩の中で見かけたもの

溶岩遊歩道を歩いていると、いろいろなものを見ることができます。そんな中でも、最も印象的なのは阿古小中学校跡

運動会で盛り上がっていたその翌日、溶岩流に飲み込まれてしまいました。しかし、不思議なことに図書やピアノは無事だったそう。ぽっかりと空虚な窓が並び、それはもう廃墟の出で立ちです。

溶岩にも植物は育つ。よく見るとハチジョウイタドリがたくさん生えています。
噴火により荒れた土地において、他の植物よりもいち早く根付く「先駆植物」と位置付けられている植物。土の無い溶岩の隙間に生え、自分の葉を落として土を作っていきます。このハチジョウイタドリが生えると、他の植物も分布を広げることができるのです。

環境に強いマツも生えてます。

遊歩道内では変わった溶岩跡「溶岩樹型」も見ることができるそう。樹木を取り巻き、そのまま固まった溶岩流で、その後、樹木が朽ちると空洞のある筒みたいな溶岩ができあがるのです。

探してみたのですが見つけることができませんでした。持ち去りや風雨による破損で、今ではほとんど見つからないらしいです。

郷土資料館で学ぶ島の歴史

火山体験遊歩道から錆ヶ浜港方面へ少し歩くと、郷土資料館があります。ここは三宅島の自然や文化、歴史を学ぶことができるスポット。博物館でもあり美術館でもあります。入館料は200円。

水色の爽やかな建物。もともと阿古小学校だったため、なんだかとても懐かしいスリッパもあります。

館内は教室のような小さい展示室がいくつもあるタイプ。展示室内は撮影禁止でした。

平松譲さんの絵画や、伊豆諸島唯一の弥生貝塚「ココマ遺跡」からの出土品などなど、部屋ごとにそれぞれ異なったテーマで展示されているため、とても見やすい。

そんな中でもやっぱり面白いのは、流刑地としての三宅島。江戸時代、他の伊豆諸島と同じく流刑地だった三宅島ですが、罪状によって流刑先となる島が変わっていたようです。

「遠流」・・・八丈島(政治)
「中流」・・・三宅島(破廉恥罪)
「近流」・・・大島、新島(軽犯罪)

破廉恥罪ってなに!?

検索してみたところ、法律に違反するだけでなく、道徳的にも許されない内容のを指すらしい。なんだかちょっとやばそうな感じです。

なお、流人の総勢は1,329名とのこと。八丈島の民俗資料館では三宅島2,300名とありましたが、様々な記録があるのでしょうかね。

見学所要時間は約30分ほどでした。

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